「清水山へ一緒に登ろう」と数名の有志から始められたみやまウォーキング協会は、発足から50年を経過し、代々の会長及び活計各位のご協力に敬意を表するものである。
古代より清水山一帯は、周辺住民の里山として何かにつけ足を踏み入れ山の恵に感謝してきた処であるが、山肌は新緑に映える初夏は勿論、春の桜より晩秋の紅葉まで四季を通じて美しく変化し、山中には古刹清水寺・五百羅漢・仁王門・清水寺三重塔・神籠石など史跡も存在する為、近隣から訪れる人が多い場所である。
このような清水山に魅せられた人たちが清水山登山の同好会を立ち上げたのは自然の成り行きであり、清水山がここにあることに我々は深く感謝している。
昭和43年~46年は島田義治さんを中心に清水山登山が好きな仲間が集まって同好会を結成し、定期的に曜日を決めて清水山登山のウオーキングが始められるようになった。当初の参加者は数名程度であったが次第に会に加わるものが増え、昭和46年になると瀬高町体育協会の勧めに呼応して瀬高歩こう会として登録申請を行うとともに、毎月一回の歩け歩け運動を企画して町民の体力づくり推進に協力するようになった。
当時の服装・靴などの整備は、まだウオーキング様に用意されたものはなく、それぞれが自由に作業着、ジャンパーなどを羽織り、運動靴以外に地下足袋で歩く人もいた。これらの参加者の中には清水寺・五百羅漢・観音などを参拝するための数珠、線香など持参する者もいたようである。
昭和47年世瀬高歩こう会が正式に発表し、瀬高町体育協会事業の一環として活動する事となった。
会員も、十数名から二十数名前後に増え、島田義治会長の下、昭和46年は月に1回、昭和47年からは、月に2回の清水山登山ウオーキングが実施される様になった。
会主催の歩行運動推進大会では、老若男女合わせて100名以上の参加者が集まるようになり、その他にも町体育協会では、部昇格として扱われるようになり、その他にも青年会議所主催も紅葉ラリー(昭和54年)など毎年数多くの行事を主催してきた。
また、昭和60年福岡県歩け歩け協会結成など、各地で大会が開催される様になり、会員は日頃より培った健脚を生かした、100キロビッグハイクを始め各種大会に参加している。
この時代の歴代会長は、昭和56年までは初代会長の島田義治氏、その後は、昭和57年から昭和60年まで、第2代の武田平吉氏、昭和61年より平成6年まで第3代目の末崎敏雄氏が会長を努められた。
平成7年に会が瀬高ウオーキングクラブと改名され、秋長は第4代目の宮地弘道氏が努められた。
瀬高ウオーキングクラブは瀬高町体育協会の部活動として、毎月2回の清水山登山の定例会を開催すると共に瀬高町体育協会主催の紅葉ウオーキング大会が開催され、当クラブも協賛団体として清掃ウオーク、標識取り付け、歩行のリーダ等を努める。又、平成16年は、「清水山史跡巡るみち」として美しい日本歩きたくなる道に認定される。
平成7年から始まった福岡県新春合同三社詣り、平成15年からは、九州(沖縄)マーチリングリーグ 大会が開催されるようになり、今まで清水山登山のみを主活動としていた当クラブも、遠征して他のクラブとも交流する事が必要になってきた。
平成24年より丸尾敏朗氏が第5代目会長を努めている。みやまウオーキング協会は「歩かんと歩けんようになるば~ん」をモットーに、活動範囲の拡大、今までの活動内容の活性化、更には普及活動を目的に積極的な活動を行っている。月1回の例会及び、わくわくウオーキングは会員の計画で実施し、初心者向け教室、ノルディックウオーキング教室などの開催参加、更には九州マーチリング・福岡県ジョイラウンドウオークなどへも積極的に参加を行っている。
また、平成28年には、みやま市商工観光課のみやま清水山オルレコース開設に伴い、当協会では、コースの維持管理への協力、現在では400~500名程度の参加する年3回のオルレイベント大会、又は、グループ団体などのガイドも行っている。